天神様の歴史が伝わる観光のまち福岡県太宰府。受験シーズンになると多くの学生さんが合格祈願に太宰府天満宮へ訪れます。今回は元号の由来にもなった太宰府市と、学問の神様が祀られている太宰府天満宮をご紹介します。
元号「令和」ゆかりの地、福岡県太宰府市
2019年5月1日に元号が「平成」から「令和」に切り替わりました。その「令和」の由来となったのが万葉集にある『梅花の歌』。歌人の大伴旅人が太宰府で詠んだ歌だそうです。
太宰府には古跡や古墳が残る歴史ある観光都市として知られています。また学問の神様として有名な天神様、菅原道真(すがわらのみちざね)公が祀られた太宰府天満宮があります。全国約12,000社ある神社の総本宮とあって、年間約1000万人が参拝に訪れます。
漢学者から政治家へ 菅原道真の生涯
学問の神様といわれる菅原道真はどんな人物だったのでしょうか。
道真は承和12年(845年)京都の代々続く学問に長けた家系に生まれました。神童と称された幼少期は漢学教育(中国古典、中国思想や詩文を研究する学問)に励み、18歳で文章生(今の大学生)に、33歳で文章博士(今の大学教授の地位)となりました。
時は宇多天皇の時代、権力が強すぎた藤原氏の対抗馬として、道真を天皇側近に仕えさせます。道真は漢学者から政治家として活躍し右大臣の身分にまでになりました。しかし権力争いが絶えない宮中、901年の政略によって道真は大宰府に左遷されてしまいます。晩年期は失意の中にありながらも誠を尽くし、903年にその生涯を閉じました。
雷神・天神になった菅原道真
人々に尊ばれ惜しまれて亡くなった菅原道真の死後、京都では道真と対立していた権力者の不幸が相次ぐようになりました。道真のたたりだと恐れられ、930年に起きた平安京の清涼殿落雷事件は絵巻にもなっています。
この事件をきっかけに道真の魂を鎮めようと、大宰府に天満宮が建てられ、京都にも北野天満宮が建てられました。災害のたびに天神信仰は全国に伝わり、日本各地にも天満宮が建てられました。
今でも学問・至誠・厄除けの神様として崇められ、毎年受験生をはじめたくさんの参拝客が訪れるようになりました。
太宰府天満宮
所在地 福岡県太宰府市宰府4ー7ー1
問合せ TEL 092-922-8225(9時~17時)
公式サイト https://www.dazaifutenmangu.or.jp/
太宰府の歴史と暮らしを体感 レストランルアン
太宰府天満宮の西門すぐ向かいにある「HOTEL CULTIA 太宰府」は江戸時代末期から昭和初期まで絵師三代続いた吉嗣家の住居であった古香書屋をリノベートしたホテル。そのフロント棟にあるレストランルアンでは、九州の各地域から取り寄せた良質で豊富な食材を使ったフュージョンスタイルのお料理を提供しています。
参拝後は古民家レストランでアフタヌーンティー、記念日やお祝いのランチ・ディナーなどいかがでしょうか。歴史深い空間に浸れる特別な時間をぜひ味わってください。
【福岡 太宰府】HOTEL CULTIA 太宰府
所在地 福岡県太宰府市宰府3-3-33
問合せ TEL 0120-210-289 VMG総合窓口(11:00~20:00)
公式サイト https://www.cultia-dazaifu.com/