「お正月」とは一年のはじまり、元日、1月1日のことです。正月はもともと一月(1カ月間)のことを指していました。一月は暦の上では春。「春正月」ともいい、ほかにも「迎春」「新春」「初春」など、「春」の文字があふれています。冬から春へ季節が移り変わる1カ月間といえますね。
「旧正月」とは日本が古来より使われていた旧暦のお正月のこと。新暦との違いを知り、旧暦で季節を感じることで新たな視点が見えてきます。
今回は新暦と旧暦の「お正月」から、暦の歴史を振り返ってみましょう。
お正月とは
まずは日本で定められている「お正月」から。
年初めの節目、元旦、元日、1月1日を「お正月」といいます。新しい年を迎えてお祝いをする日です。正月料理やお雑煮を食べたり、初詣などに出掛けたりします。
お正月の期間は特に決まりはなく、新年のご挨拶をいつまでするかは、家庭、地域、職場によって様々です。目安としては「松の内」というのが多いようです。鏡開きは松の内を開けた11日~20日ごろが一般的です。
正月期間
- 元日 1月1日
- 元旦 元日の朝(1月1日の午前中)
- 三が日 1月1日~1月3日
- 松の内 1月1日~1月7日(関東)・1月1日~1月15日(関西)
- 二十日正月 1月1日~1月20日
- 正月 1月1日~1月31日
旧正月とは
旧暦の1月1日のことを「旧正月」といいます。この旧暦と現在使っている新暦とは換算の仕方が異なるため、毎年違った日にちとなります。旧正月の元日は現在よりも少し後にくる感じで、およそ1月21日~2月20日の間になります。2月になっても正月飾りをしている地域や家庭があるのは、旧暦に合わせてのことなのです。
新暦でみる旧正月の元日
- 2025年1月29日
- 2026年2月17日
- 2027年2月7日
- 2028年1月27日
- 2029年2月13日
- 2030年2月3日
季節感と農耕には旧暦がぴったり
現在、日にちをみる場合、西暦いわば新暦(太陽暦)を使っていますが、実は明治初期までは旧暦(太陰太陽暦)を使っていました。旧暦は実際の季節感に即した暦のため農耕に必要だったからです。
現在の1月は旧暦でみると11~12月の時期ということになり、まだまだ冬の寒さを感じるのはそのためです。旧暦1月になって初めて春を感じ始めるので「初春」の季語が成り立つわけです。
ちなみに、旧正月と同じ時期にくる「立春」という言葉もありますが、これは「二十四節気」で換算したもの。立春と旧正月が重なる日を「立春正月」といって縁起のよい日とされています。
海外の旧正月
国によって暦法は異なりますが、現在多くの国々が新暦「太陽暦」を使っています。同時にアジア諸国では旧暦「太陰太陽暦」をベースに換算した暦も現役で使われています。
旧正月といえば、中国の「春節(しゅんせつ)」を思い浮かべる人も多いでしょう。中国のお正月は新暦1月1日よりも旧暦1月1日に盛大にお祝いをします。台湾も「春節」、ベトナムは「テト」、タイは「ソンクラーン」といって旧正月にお祝いをします。マレーシアやシンガポールでは4つ暦を使い分けているため、お正月が4回もあるのだとか。
旧暦を重要視する理由は、西洋で生まれた太陽暦よりも古くから使われており、農耕や漁に密接にかかわっているからといえます。日本も150年前までは旧暦を使っていましたので、つい最近のことなのです。
暦は大きく分けて3つあります。
- 太陽暦 ※新暦
- 太陰暦
- 太陰太陽暦 ※旧暦
ではその新暦と旧暦について詳しくみてみましょう。
『太陽』周期で換算した「太陽暦」 ※新暦
まずは現在使われている「太陽暦(グレゴリオ暦)」です。世界各国で採用されている暦で、日本も西暦カレンダーとして使われています。
太陽暦という名の通り『太陽』の周りを地球が一周することで換算されています。
実際一周するのに365.242…日と端数が出るため、1年365日としました。そして端数を調整するために、4年に一度、1日を追加して1年366日とした閏年(うるう年)を設けました。4年ごとに2月29日が入るのはそのためです。ただし西暦年数が「100で割り切れても、400で割り切れない年」は平年となります。
『月』の満ち欠けで換算した「太陰暦」
旧暦「太陰太陽暦」の前に、まず紀元前の古代から使われていた「太陰暦」を説明します。陰暦ともいいます。太陰・陰とは月のこと。
太陰暦は『月』の満ち欠けで日にちを換算した暦です。いわば月齢。
月は様々な生き物に影響を与えます。満月に産卵する生き物も多く、潮の満ち引きも大きく関係しています。満月の前に種まきをすると根付きがいいといわれ、農業や漁業が盛んだった時代、新月や満月を見ることはとても重要なことでした。
古代の人々は、夜空の月を見ることで日にちの感覚を持っていました。月はおよそ15日間かけて満ち、また15日かけて欠けていきます。月が全く見えない「新月」から次の「新月」の前日までを1カ月とみなし、月の形にあわせて呼び名をつけて日にちを数えていました。
ちなみに、新月を「さくげつ(朔月)」ともいいますが、「朔」とは極めて細く月が出始める姿をいいます。語源の「关」とは笑う姿を現したもので「月」が笑うので「朔」という字になります。
月の形から日をみる
- 新しい月のはじまり
「新月」「朔月」 - 月が立つので
「ついたち(一日)」 - 3日後に美しい月が出るので
「みかづき(三日月)」 - 半月は弓や弦の形に似ているため
「げん(弦)」※上旬を上弦、下旬を下弦という - 15日に月が満ちるので
「満月」「十五夜」「もちづき(望月)」 - 下旬は月が細くなっていくので
「つきごもり(月隠り)・つごもり(晦)」 - 30日後にまた月が隠れるので
「みそか(三十日・晦日)」
- 1年の終わりにくる晦日は
「おおみそか(大晦日)」
新月から満月になるまで常に15日ではなく、実際は14日~16日と幅がありますので、ひと月の平均はおよそ29.53日となります。太陰暦は、1カ月29日 (小の月) と30日 (大の月) の月があり、1年12カ月=354日 となります。
『月』と『太陽』両方を取り入れた「太陰太陽暦」 ※旧暦
月の周期で数えた「太陰暦」の1年は約354日。しかし太陽の動きは1年約365日。比べると約11日ほど短くなります。3年も経てば33日(約1カ月)も短くなってしまい、季節がどんどんズレてしまいます。
そのため3年に一度、1年を13カ月とする閏月(うるう月)を設けました。それが「太陰太陽暦」です。
太陰太陽暦は、生物に密接な『月』の満ち欠けと、季節に関係した『太陽』、その両方を考慮した素晴らしい暦なのです。
明治初期に太陰太陽暦から太陽暦へ改暦
旧暦の太陰太陽暦は、6世紀(500~600年頃)に記録がありますので、1200年以上もの長いあいだ使われてきました。しかし明治初期のころの欧米化に合わせて、太陰太陽暦は明治5年12月2日をもって終了とし、翌日から太陽暦の1873年1月1日となりました。
改暦前 | 改暦後 | |
旧暦 太陰太陽暦 | 明治5年12月2日 | (明治5年12月3日) |
新暦 太陽暦 | 1872年12月31日 | 明治6年1月1日 1873年1月1日 |
なぜこんな中途半端な日時に改暦をしたのでしょうか。
当時は明治維新直後の混乱期。欧米化を図った明治政府は、明治5年12月は2日しかないので一カ月分の給料を払わずにすむということで推し進めたといわれています。また、旧暦は年13カ月、新暦だと12カ月のため給料支払いも年12回ですむということで、太陽暦に改定したということです。
そして暦の扱いは領暦商社に特権があり、伊勢神宮司庁しかカレンダーを発行できませんでした。確かな日付を把握するにはカレンダーが必要です。そのためお伊勢参りのお土産にはカレンダーをお目当てに、日本全国からたくさんの参拝者が訪れたといいます。
明治6年から新暦に変わったとはいえ、すぐに庶民の暮らしが変わるわけがなく、農耕や漁は旧暦を使っていました。お正月も大正時代までは旧暦で祝っていたようです。ともあれ近代化の流れで時代とともに生活様式が変わるにつれ、新暦での暮らしが一般化していったのはいうまでもありません。
日本でもお祝いしたい旧正月
現在の日本において、お正月は新暦で祝うのが一般的です。旧正月は祝日になっていないことが大きな要因だと思いますが、実は神社やお寺では旧暦を重んじ、旧正月に祭事を執り行うところが意外と多くあります。
沖縄など一部地域でも旧正月を祝う風習が残っています。お祭りの儀式では五穀豊穣や豊漁を願い、ご先祖や自然の恵みに感謝して新しい年の健康と幸せを願います。港町では漁船に大漁旗が揚げるところもあります。縁起物を食べて祝盃を交わし、祝い唄をうたい踊る沖縄らしいお正月です。
毎年お正月のあとには旧正月があります。お祝い事は二度あってもいいですね。旧正月はちょうど梅の花が咲く時季です。暦を読みながら、草木が芽吹く春の兆しを感じてみてはいかがでしょうか。